大運寺の公式ホームページです。

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大運寺

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画像の説明

当麻曼荼羅 (絹本) 約220cm×260cm 室町後期~桃山初期作

当麻曼荼羅

この阿弥陀浄土変相図は善導大師の説に基づいたもので中心は多数の菩薩に囲まれた阿弥陀三尊のいる西方浄土を表しています。

またフィルムのコマのように区切られた中は死後に往生する姿などを説明するために工夫されています。奈良の当麻寺に伝わる曼荼羅と同じ構図になっています。

濃尾震災(1891年)の時、辛うじて持ち出されて難を免れました。昭和63年~平成元年に京都にて大修復をしました。現在桐の二重箱に保存されていますが、以前は桐の原木を刳り抜いた箱に納められていました。

釈迦三尊図 (絹本)室町中期~室町後期作

釈迦三尊

お釈迦様、獅子に乗った文殊菩薩様、白象に乗った普賢菩薩様が描かれています。

浄土宗ではご本尊様の裏側(背中合わせ)にお釈迦様をお祀りします。

大運寺には濃尾震災後再建されてからこれまでお祀りされていませんでした。

この度の平成の大修理を祝ってご寄進して頂きました。大谷家の所蔵だった由緒あるお軸が京都思文閣を経て大運寺に伝わって来ました。

二十五菩薩来迎図屏風 江戸中期作 通称:枕屏風

二十五菩薩来迎図屏風

【観無量寿経】に説かれている一節を表したもので、臨終に際し、阿弥陀如来が観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従えて、諸菩薩や天人を引き連れ、雲に乗ってやってきて、極楽浄土へ導いて下さる様子が描かれています。

屏風仕立てになっている物は珍しく、昔から檀家様の臨終の枕経の際に貸し出しておりました。

傷みがはげしい為、現在は貸し出しておりません。

地獄絵図

制作、年代不詳。往生要集をもとに描かれている。死後、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日,四十九日、百ヶ日、一周忌、三回忌に生前の罪の裁きを受けている様子が一幅ずつの軸になっています。

地獄絵図の詳しい絵解きはこちらです。

死によって始まる死出の山登り、三途の川、賽の河原、閻魔大王、浄玻璃の鏡、針のむしろ、血の海など日本人が古くからなじみのあるものが描かれた地獄の様子を見る事ができます。

毎年、春・秋彼岸に一週間、当麻曼荼羅(極楽図)と共に特別公開しています。

徳本上人名号軸

徳本上人名号軸

徳本上人は、宝暦八年(1758)、紀州日高郡志賀村に生まれ、四歳の時、隣家の子供の急死に遇って無常を感じ、常に念仏を唱えるようになったという逸話が残っています。

天明四年(1784)二十七歳で出家した後は、草庵に住み、一日一合の豆粉と麦粉を口にするだけで、念仏を唱え続けたといわれます。

また四十五歳までは水行をしたり、断崖絶壁の岩上で千日の間、不断念仏を行ったなど、他に例のない過酷な修行をした事も伝えられており、行場跡も多く残っています。
(その姿は長髪・長爪・裸に袈裟をかけただけの異形だったと伝えられています)。

不断の苦行によって梵網戒経を感得し、念仏の教義を悟ったといわれています。

徳本上人は美濃地方では文化八年(1811年)8月から9月にかけて21ヶ寺で布教されました。

当山には9月5日と6日の二日間滞在され、お勤め・お説教をなさいました。
この名号軸はその時お書きいただいたお軸です。

他にも3幅の徳本上人名号軸が存在しております。

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