境内

本堂

約350年前に真言宗から浄土宗に改宗して大運寺となりました。

濃尾震災(1891年)にて本堂、山門、庫裡ともに全壊し1911年に現在の本堂を再建。

約100年の年月がたち、傷みが烈しかった為2004年~2007年にかけて大改修をしました。壁を増やして耐震にしました。

鐘楼堂

昭和七年、第十六世順誉上人の代に再建されました。

本葺きの屋根・総欅作り・扇垂木(おおぎだるき)・龍や獅子やその他の彫刻・揖斐の青石の基檀・全体のバランス等々、鐘楼堂としては最高の建築物として将来文化財に指定されるとの評価をされています 。

とくに2人の彫り師に競わせたとされる欄間や火を噴いている龍や獅子は芸術的です。

観音堂

濃尾震災の直後、犠牲者の慰霊のために谷汲山より尊像を奉請して三十三日間、法要をつとめました。

その後華厳寺様の特別なお計らいで、観音様をそのまま奉安していただける事になりました。

1915年大正4年 谷汲山華厳寺より下附した十一面観音菩薩を本尊様とする観音堂を再建しました。

三玉大明神社

三玉大明神社

三玉大明神とは大運寺で産まれたお狐様で、清玉大明神(母)咲玉大明神(姉)吉玉大明神(妹)の事です。

ご神体は二体あり、一つは第十世中誉上人(1800年頃)代のもので、梁誉源棟上人(不詳)からの相伝として疱瘡治癒(疱瘡除け)秘法が書かれています。

もう一つは、第十四世仙誉上人代のもので、お狐様の年齢は当時、二百十一才で、御眷属(ケンゾク)として二百二十二才の守道稲荷がついていたと記され、病気除けと寺門興隆、檀信徒の和合、除火盗難のために勧請したことが書かれています。

現在では天然痘が撲滅されたため、日本全国に点在した三玉明神社が消えていってしまい、存在自体が大変めずらしいと思います。大運寺をお守りして下さる守り神としても大切にしていこうと、平成20年5月に建て替えました。